お知らせ ( 気まぐれ )

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2008年8月7日(木)

自由であるということ

 ”皇居は広くていいな。そんな広い庭がある家に住みたい”
 と、こともあろうに家族からこんなはなしがでる。
 本当にしつけのなっていない家だ!!、とわれながら、自分のふがいなさに落胆する。
 ”じゃ、皇居にすんでみたら”といってみた。
 すると
 ”えっ?できるの?”
 そこでこう答えた。
 ”皇居に住んで、3度3度の食事も全部ついているんだけど、ただひとつ自由にならないことがある”
 ”それは?”
 ”それは皇居の外に出てはいけない”
 ”いやだなぁ。そんなの。自由じゃないもん”
 ”でもそうやって暮らしている人がいるんだよね”
 ”・・・・・”
 自由であることの楽しさと、それを守るために自分がするべきことがわかったのだろうか。
 わからないですね。皇居に住んだことがないなら。自分も含めて。
 


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2008年7月30日(水)

良いときも悪いときも一緒でもある。

悪いときもあれば、良いときもある。

実は良いときも悪いときも同じように、一緒でもあるなぁ、と。

薬というのはよい部分(求めている効果)と悪い部分(副作用)のごちゃ混ぜになったものです。多くの人では良い部分として作用する薬の量が悪い部分として作用する薬の量よりも少ないために、普通の量をのんでも、良い作用が出るはずなのですが、個人差やその他のさまざまな状況で悪い部分として作用する量が良い部分として作用する量と同じであったり、、またはほんのわずかな量でも悪く作用してしまうことがあるのですね。

もし薬を飲まない場合のことを考えると、これも良い部分と悪い部分が一緒におこるわけです。薬を飲まないので、薬に求めるよい効果が期待できないけれど、悪い部分としての副作用が出ないわけです。

頭痛が続くので、頭痛薬を飲んだら、頭痛はよくなったけれど、胃が痛くなった。再び頭痛がしたので、今度は薬を飲まなかったところ、頭痛は良くならなかったけれど、胃の痛いこともなかった、ということでしょうか。

こういうことって、実はあらゆる行為、判断はみな同じなのですよね。

”何かをする”ということはそれによって得られる期待されることもありますが、期待されないことも同時におこります。一方でその”何か”をしないとすると、期待されることもない代わりに、期待されないことも起きない。

たとえば宝くじ。宝くじを買うと、3億円当たるのではないかと期待されますが、はずれることもありますね。買わなければ3億円も当たらないかわりに、はずれを引くこともありませんね。

人の行為というのはみなそうなのだと思います。当たり前ですね。良いことをしたと思ったら、思わぬしっぺがえしを食らったり、一方で何もしないために、良いことをしたという満足もなければ、しっぺ返しも食らうことがない。

良いことと悪いこととは一緒なのだと。

困ったことの第1は自分にとっては時に一方だけが結果として起こりうる。

困ったことの第2は良いと思っていることと悪いと思っていることが共通なはずなのですが、少しあいまいになってきていることです。

困ったことの第3はその上、時間とともにその状況が刻々とかわることもある。

いつもながらの説明不足なのですが、医療の一部をになっていることが、ある意味で、自分の行為ばかりか、社会のあらゆる所作を考えされられてしまっている状況に陥ってしまっている自分がいることに気づいた次第です。

 


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2008年7月24日(木)

字:”刻み字”と崩し字

昨日だったか、新聞で崩し字が通用しない学生という話が載っていました。

私の書いた字はご他聞に漏れず、読めない字なのですが、それでも一応は習字10年の歴史からうまれた崩し字の成れの果てなのです。

ところがわが子も含めて、若い人たちは崩し字はほとんど書きません。

一画一画をきちんと書いています。ただしバランスと言うか、字の体裁を持たない字も多く見られます。

こんな字をなんていうのかわかりませんが、丁度彫刻刀で刻んだような字なので”刻み字”としましょう。

刻み字では文章は書けないですね。時間がかかりすぎてしまいます。

でも試験では間違いなし、になります。 試験対策用の字としては一画一画きちんと書いているので、間違いないわけです。

パソコン世代では表記される文字も正確でないことが多いし、ましてや崩し字は出てきませんね。

ここでふと考えたのですが、崩し字なんて教えてもらったり、筆記用具で書いてあるものを読まない限り、出てこないのですね。

これは、今までのコミュニケートの手段と異なる内容で言葉や意味が伝達されていることなのでしょう。

字の画と似た形だけでコミュニケートされているということでしょうか。”似た形”が今までは崩し字という伝統的に受け継がれた形だったが、最近は”刻み字”で、字の画が同じと言うに過ぎないもの、ある意味で正確なのに、伝統的でないもの、という形でつたわっていく。その刻み字の形は受け継がれていないので共有できにくい、個性的な形ということでしょうか。正確であるにも関わらず。

字を通して伝わるべき、字面だけでは伝わらないものもあるような、それが伝統的に連綿と伝わっていないということでしょうか。

なお先ほどの”字面”ですが、ジオモではなくジヅラと読みます。ジメンでもないです。

とはいえ古文書や江戸時代の手紙(時代劇で出てくる)、札(これも水戸黄門で”御用”とか”税金”とか書いてあるのだろう)はまったく読めない私ですから、崩し字や文体も時代を超えたものではなく、自分の生きている時代が長くなってきたということに過ぎないと言うことなのでしょう。

 


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2008年7月9日(水)

エコ:トイレの電気

子供のころ、私の両親はトイレの電気をつけずに、トイレに入っていました。

”なぜ電気つけないんだ?”

ときくと

”もったいないから”

といっていました。

トイレくらい電気点けたっていいじゃないかと、当時思っていました。

今、当時の両親の年頃になって、自分も電気を点けずにトイレに入ります。

子供からどうして電気点けないのか聞かれるので、

”エコだ”と言っています。

でも自分でも電気をつけない本当の理由はよくわからないのです。

なにもわずかな時間、わざわざ電気を点けなくてもいいと思ったりしているんです。

時に電気を点けないで、トイレに入っていると、

ばたんと戸があいたりします。

”電気点けなくてもいいけど、鍵は閉めてよーーーーっ!!!”


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2007年11月8日(木)

宣伝される”理想の”薬たち

過剰な宣伝の健康用品が多い。

”10日間で◎kgやせる”、とか”男性回復のほにゃららら”、”理想の美肌を”、などなど。

いずれも”そうだったらうれしい”という文句が並ぶ。

一方で先日は血液さらさらの腕輪でつかまった人もいた。

いったい宣伝文句のような状況が本当に存在するのかどうか。

以前ある種のきのこで癌が治るということで大きく取りざたされたことがある。

”ほにゃららら服用10人の証言!!!癌が治る!!!”など。

もうこれだけで癌にかかっている方は飲んでみたくなる。私も弱い人間だから、そのような状況になったときは恐らくその言葉におどらされてしまうだろう。

冷静に考えれば、そのような”神の薬”は存在しないことはわかるのだが、冷静さを欠いてしまっている状況では判断はできにくい。ましてや不安である場合は藁をもすがる気持ちなのだ。

効果を判定するためには常に4つの状況を評価することで初めて可能である。

つまり、ある薬を①使って良い効果、②使って悪い効果、③使わなくて良い効果、④使わなくて悪い効果。

これらの比率として①使って良い効果、④使わなくて悪い効果が多くならなければならない。

同時に②使って悪い効果、③使わなくて良い効果が少なくなければならない。

しかも結果がどうであれ、使う人たち(①と②)と使わない人たち(③と④)がほぼ同数で、同じような人たちを対象にしなければならない。

上記の状況をクリアしてはじめて、効果があるかないか判定できる。

”ほにゃららら10人の証言!!!”で10人に効果があった(①の状況)けれども、一方で100万人は使っても効果がなかった(②の状況)場合、”10人の証言!!!”は何になるのでしょう。。

私たちは”ある行為=すべての結果”とシンプルに理解したい。でも全体をみるとそうでもないことも多々あるのです。

いつもこのような冷静な判断ができるようになりたいとは思うが、弱みを握られたりすると、そんな判断ができにくくなりますね。 ましてや”理想の肌”とか、いつも追い求めているものであったりすると、すぐ飛びつくのが人情でしょう。人情に立ち向かうのは易いことではありません。