先日カズオイシグロの話をNHKで放送していた。
その中で”私を離さないで”という小説の話がでていた。
まだその本を読んでいないので、何とも言えないが、断片的に語られていた部分から推測することが多かったので、書くことにした。
その話はクローン人間のはなしの様である。
だれかに提供するために生まれてきたクローン人間であるが、その”使命”はしらされていない。しかしある時しってしまう。クローンとしての役割を果たさなければならない定めの中で、考え、行動し、愛し、生きていく様子を描いたようである。そしてある日、その定めに従って、召され、分かれていく・・・。
私たちの生死というのも、実はこのクローン人間とあまり変わりがない。”召される”ことに変わりはないのだから。死までの長さを自分自身で決定することは普通はできない。悪あがきをして、短くしたり、長くしたりするかもしれないが、まさに“召される”というべきか、自分で決定することはできない。自殺ということもあるが、これはこれで召されることになるのだろう。今回の地震、津波などの災害にしても、”召される”といっては失礼になるが、1個人のちからではどうしようもない”運命”というか、自分では決定できないこと・・・これが死ぬ時ということなのだろう。
死の訪れは自分の意志とは無関係にやってくる。良い人生をおくったかとか、やり残したことがないかとか、そんなことはお構いなし。ある時突然くるのだ、その瞬間は。
せっかくの短い人生と思うかどうかはわからないけれど、生きているものは必ず死するわけである。しかも突然。
どんな気持ちで生きていくのがよいのか。
そんなことを毎日悔いのない生活をしようとか、とはいえ好きなこともしてみんたいとか・・・。私のような凡人はすぐに邪年にとらわれてしまう。
それでもある時、突然、不意打ちのようにやってくるのである。その瞬間は。