お知らせ ( 2011年4月 の記事 )

ホーム » お知らせ
2011年4月20日(水)

情報氾濫と情報疎外

 

情報氾濫と言われる。

テレビ、ラジオ、インターネット、ソシアルネットワーキング・・・・と情報の源はたくさんあり、そこには溢れてコントロールがつかないくらいである。

だから情報氾濫なのだろう。

一方で、今回の震災で多くに被災者が訴えていたことに、情報がほしいという。

これだけあふれかえっているのに、情報がたりないという。これは情報疎外という状態なのだろうか。

情報がたくさんありすぎるために、なにを信じてよいかわからなくなってくる。一方で情報がないとどうしてよいかわからなくなる。

また、情報統制されてしまっても、正確な情報が得られない危険もある。

そしてデマ情報を信じて、その情報を故意にであれ、意図的にであれ拡散していく人たちもいる。

この情報の状況は以前には全くなかった状況である。


 
2011年4月19日(火)

召される

先日カズオイシグロの話をNHKで放送していた。

その中で”私を離さないで”という小説の話がでていた。

まだその本を読んでいないので、何とも言えないが、断片的に語られていた部分から推測することが多かったので、書くことにした。

その話はクローン人間のはなしの様である。

だれかに提供するために生まれてきたクローン人間であるが、その”使命”はしらされていない。しかしある時しってしまう。クローンとしての役割を果たさなければならない定めの中で、考え、行動し、愛し、生きていく様子を描いたようである。そしてある日、その定めに従って、召され、分かれていく・・・。

私たちの生死というのも、実はこのクローン人間とあまり変わりがない。”召される”ことに変わりはないのだから。死までの長さを自分自身で決定することは普通はできない。悪あがきをして、短くしたり、長くしたりするかもしれないが、まさに“召される”というべきか、自分で決定することはできない。自殺ということもあるが、これはこれで召されることになるのだろう。今回の地震、津波などの災害にしても、”召される”といっては失礼になるが、1個人のちからではどうしようもない”運命”というか、自分では決定できないこと・・・これが死ぬ時ということなのだろう。

死の訪れは自分の意志とは無関係にやってくる。良い人生をおくったかとか、やり残したことがないかとか、そんなことはお構いなし。ある時突然くるのだ、その瞬間は。

せっかくの短い人生と思うかどうかはわからないけれど、生きているものは必ず死するわけである。しかも突然。

どんな気持ちで生きていくのがよいのか。

そんなことを毎日悔いのない生活をしようとか、とはいえ好きなこともしてみんたいとか・・・。私のような凡人はすぐに邪年にとらわれてしまう。

それでもある時、突然、不意打ちのようにやってくるのである。その瞬間は。