先日、プロフェッショナルにてブログを書いたところ、コメントを頂戴しました。ありがとうございます。
私は日本に何千人もいる内科学会認定専門医の一人です。昨年まで内科専門会というのがあって、その中にプロフェッショナル委員会というのが設立されて(大生立教大学教授委員長)、それに参加しました。
内科専門医というのは”専門性”そのものをとわれる専門医で、内科専門医会はそのあり方を考える”専門医”の会だったのですが、大生先生や野村先生(金沢大学医学部教授)がその中で、”プロフェッショナル”とはなにかということをお考えになり、彼らのお声がけであつまった会でした。
アメリカにはACPという組織があり、そこに専門医としての憲章があります。日本の内科専門医会も専門医憲章というのは随分前につくったようですが、それをあらためてはどうかということで、いろいろと議論しました。
その結果、浮き上がってきたことはたいへんシンプルで、内容もプリミティブです。
それは勉強を続けよう、正直であれ、とかそういうものです。英語ではintegrateというようで、訳すと”誠実である”ということのようです。誠実とは日々の行動も含めた生きる姿勢を表す言葉です。
そのなかにはプロフェッショナルが直面する”明確な答えのない問題”や”解決できない状況”への対処もふくまれます。
現代社会は平均年齢を考えればかつては想像もできないほどの寿命の延びを達成できました。この原因はなんであるかは充分わかっていないのですが、恐らく医学や医療もその延命に寄与していることでしょう(余計なことですが、日本でもっとも一人当たりの医療費が少ない県が最も長い平均余命です)。
そのなかで解決できない問題や直面する状況が数多くみられる事態となりました。脳死の問題、移植の問題、情報の不対称など。そのほかに医師の取り巻く環境、女性医師の増大、医学教育体系の変革、医師労働状況の変化、医師不足、医師偏在、医療体制、医療制度などなど。
これらの諸問題にどう対処するかということです。これは容易なことではありません。
いずれにしても誠実な対応、その場限りの取り繕った対応ではすまされないのだということ。
つまりプロフェッショナルの基本は、誠実な対応。それはひとつには明確な規範:プロとしての研鑽(だいそれたものではないのです)を日々すこしだけ続けること、直面する問題や状況に誠心誠意考えて対処すること。これがプロなのだろうと思うのです。
よく言われることですが、何々になることはできるが、何々であること(ありつづけること)は難しいと。父親になることはできるが、父親であることは難しいとか。
医師になることは、試験に受かればできます。しかし医師である、プロとしての医師であるためには、誠実な生き方を要求されるということでしょう。
私も医師でありつづけるための誠実な毎日を送りたいと日々願っています(時々こけますが)。